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Selfishly

Selfishly

二人の関係 4

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「ちょっとその上をつめてくれよ」
 トレーに食欲を誘う匂いを乗せて、エドワードがリビングに入ってくる。
 声を掛けられたロイは、ロウテーブルに広げられたノートやメモ用紙を汚さないように端に寄せる。
 ロイの家にエドワードが居候をするようになって、そろそろ1週間が過ぎようと云う頃になっている。
 忙しい男の独り暮らしで煩雑だったロイの家も、意外にまめなエドワードのおかげで随分とこざっぱりとした住まいになっていた。
 旅の間に纏めていたエドワードの手記を読みながら、各国の世情を話してもらうのが最近のロイの日課になっている。
 不思議な事に、家で誰かが待っている思えば、仕事の能率は自然と上がり、ロイの帰宅も随分早くなってきている。

「今日も美味そうだな」
 手際よく並べられる料理の皿に、ロイは相好を崩して喜んでしまう。
「あんたいつもそう言ってくれるけど、別にそんなたいしたもん作ってないぜ」
 料理は嫌いではないが、旅続きの生活ばかりだったから、手の込んだ物は作れない。
 精々が焼くか炒めるかそのまま並べるか程度の物だ。
「料理をしない者にとっては、家で食事が出来る事だけでご馳走さ」
 頂きますと互いにきちんと挨拶して、フォークを手にする。
 少年の時から「兄は纏め食いが凄いんです」と零していたアルフォンスの言葉通り、エドワードは食べる時と
 食べない時の落差が激しいようだった。ロイが戻ってくるのが早い日は、こうやって手料理を作って自分も食べているのだが、
 独りしか居ない日は食べているのも怪しいようだ。

 ――― だからこんなに細いんだな。
 目の前で勢い良く料理を口に運んでいるエドワードを観察しながら、ロイはそんな感想を浮かべる。
 彼の遅い成長期なのか、縦には随分伸びたようだが横は相も変わらず細いままだ。
 それが華奢でひ弱な感じをさせないのは、鍛えられた筋肉が均整取れて付いているからだろう。
 この家に連れてきた最初の日。玄関に並んで改めてエドワードの成長振りを感じられた。
 横に並べば肩下だった身長差が、今では頭一つ分程度になっていたからだ。「随分伸びたな」と感想を告げてやると、
 途端に顔を明るくして喜んでいたから、余程嬉しい事実なのだろう。


 ――― それに穏やかになった・・・。
 来た時の司令部での邂逅の時にも驚かされたのだが、随分表情が柔らかくなった。
 少年時代は生意気な顔か、不機嫌そうな表情しか見せてはくれなかったが、今はごく普通に話しをし笑い声を上げる。
 そして・・・時折。最初に驚かされたように、花が綻ぶような笑みを浮かべることも。
 密かにその笑みを楽しみにしている者が多い事は内緒だ。
 今のエドワードにはどうやらチビ・豆の単語は解禁になったようだが、今度は綺麗、可愛いの単語が禁句になっているようだからだ。

 ――― が、皆が驚くのも無理は無い。
 中身が変わらないから、そのギャップの差には最初会う者はかなり戸惑わされるのだが・・・。
 美女と付き合いが多いと噂されているロイでも、今のエドワードがかなりの美青年なのは断言できる。
 すらりとした肢体は、無駄の無い動きを見せて洗練されているようにさえ見えるし。容貌は間違いなく綺麗と言える。
 黙ってさえ居れば美貌と褒め称えられてもおかしくはない。
 そこに純度の高い金糸に金目とくれば、世の女性からの妬みと嫉みを受けても仕方ないと云うものだが・・・、
 不思議な事に彼の周囲には、いつも人が集まってくる。
 それが証拠に、何度か司令部に顔を出しただけだと云うのに、エドワードの事を訊ねてくる者や、再来を望む声を良く聞く。
 さすがに准将のロイに言付けを頼む剛の者は居ないようだが、その分声の掛け易いハボックやフュリー達が色々と頼まれているような事を小耳に挟んだ。

 ――― 本人は全く意識してないんだろうが・・・。
 料理の出来栄えを吟味しながら食べているエドワードの様子は、昔を知っているロイから見れば全然変わらない彼のままで、
 そんな彼との同居生活に煩わしさを感じるどころか、楽しみに感じている事のほうがロイ自身驚いてもいる。

「・・・・・どうしたんだよ? 何か口に合わなかったか?」
 小首を傾げて心配そうに窺ってくる子供っぽい仕草に、ロイの口元が弛む。
「いや・・・十分美味しいよ。ちょっと、君の事を考えていてね」
 そのロイの言葉に、エドワードが目を瞬かせて驚いて見せる。
「俺の? ――― あっ・・・そろそろ出て行った方がいいよな」
 ロイの言葉から何を考えたかを察して、慌てて違う違うと否定する。
「そんな事じゃない。ここには好きなだけ滞在してくれていい。と云うか居て欲しいんだ。――― そうじゃなくて、君の先のことを考えててね・・・」
 元々その話をしたくて家に誘ったのだ。彼の性分から、一所に腰を落ち着けるのを嫌がるのではないかと懸念し、
 時間を掛けて説得した方が良いだろうと・・・。
「俺の先のこと・・・か。――― そう云えば、俺もそれで相談したかったんだよな」
「相談? 君が私に?」
 珍しいエドワードの頼みに、ロイは思わず驚く。
「・・・・・おかしいかよ」
 むっとなったエドワードの表情で、ロイは珍しい出来事を喜んでいる自分の表情が、笑っていた事に気づいてそうじゃないと説明する。
「いや、素直に嬉しいよ。――― 君は昔から、余り人を頼る方じゃなかったから・・・。
 今の私に出来る事があるようなら、ぜひ協力をしたいと思っているよ」
 そう告げて微笑んで見せれば、エドワードも安心したのか照れたように「サンキュー」と呟いて微笑んで見せてくれる。
 その笑みにロイを更に調子付かせたのは云うまでも無い。

 食事を終わらせてからにしようと話し合って、ロイは遅れていた料理を食べ始め、その間にエドワードは食後の珈琲を落とし始める。
 食後に珈琲を飲むなんて、それも滅多に無いかっだ事だ。
 大抵外食の時も買い込んで家で済ませる時も、食事の時の飲み物と言えば酒類ばかりだったから。
 食後のゆとりを楽しむなんて、何だか酷く贅沢な時間を過ごせている気になる。
 定位置になったリビングのソファーで向かい合わせに座ると、どちらが先にと譲り合う結果になる。
 ロイとしてはエドワードの希望を聞いてから先の話をしたいと思っていたのだが、
 「ここまで面倒見てもらってんだから、出来ればあんたの希望にも沿えるように考えてみたいし」と
 ロイに渡りの船を出してくれたエドワードの言葉に、先に切り出させてもらう事にする。
 
「鋼の。司令部の隣に出来ている建物を見たか?」
 そうロイが尋ねると、エドワードは「ああ、見た」と頷いて返す。
「あそこはもうじき開設される国立の研究所が入る事に決まっている」
「――― 国立の・・・研究所」
「知らなかったかい? 結構、大きく市民への広報や応募を掛けてたんだけどね」
 エドワードはへぇ~と大きな目をパチクリとさせている。
「俺、こっちに戻ってきたの久しぶりだからな・・・」
 知らなかったと呟くエドワードに、ロイはそれもそうかと考え直す。
 国内に居たのなら1度くらいは耳にしただろうし、マルコーだって連絡をしただろう。
 それが出来なかったのは、エドワードが国内に居らず、しかも今はどこを回っているのかさえ正確には判らなかったためなのだから。

「敷地の半分が研究棟で、もう半分に併設されている学究の棟で市民にも門戸を開く計画なんだ」
「――― それって・・・市民にも学ぶ場所が出来るって事だよな」
「ああ、錬金術を筆頭に応用科学、工学、生体医工学に土木や遺伝子生産技術、・・・そして軍事関連。
 そこまでの幅広い研究が行われる。運営は勿論最初は国と企業団体、軍もだがバックアップをする形で始まり、
 行く行くは研究所が開発や依頼を受けての仕事を請けおう形で運営が賄えるようになるのが理想だ」
 そうなれば他者からの干渉や影響を受けなくて済む。
「――― 国立の・・・研究所か・・・」
 顎に手をやって考えているエドワードの仕草も、随分様になるようになっている。
 昔ならそんな大人びた仕草に違和感を感じただろうが、今は1枚の絵のように様になるのだから、年月は偉大だ。
「そこでだ―――。初代の研究所長はDrマルコーにもう決まっているんだが、彼からの強い要望が有ってね。
 君に・・・鋼の錬金術師にもぜひ所属をしてもらいたいと・・・――」
「俺っ!?」
 顎に置いていた手を外して、エドワードが驚きを返す。
「ああ。まだまだ設立当初だから人材が不足していてね。随時、応募を続けては行くつもりだが、
 それを束ねる者も必要だし、学究徒への指導も請け負うだけの人材の確保は必要だからな」
「――――――――― 」
 口を閉じて思考しているようなエドワードを急がせるのは悪いと、ロイは少し冷めてしまった珈琲を口に運ぶ。
 旅から旅への生活を続けているエドワードが、どれほどこの話に気を惹かれてくれるかは判断し難い。
 どうしても定住が嫌だと云うのなら、臨時の職員でも構わないかとも考えている。

 暫く待っていると、エドワードが視線を合わせて尋ねてきた。
「・・・・・そこで俺は何を研究すればいいわけ?」
 その疑問は至極尤もだろう。エドワードは錬金術が使えなくなった。
 錬金術の研究をと言われても、それは無理が有るだろう。
「君には学徒への錬金術の講義と、研究は・・・・・何でもで良いそうだ」
「何でもっ?」
 目を瞠るエドワードに、ロイも笑って頷く。
「ああ。アバウトな言い方だと思うだろうが、それがマルコー師の希望だったんだ。
 君には・・・失われた錬金術の代わりに膨大な知識が有る。
 鉱物・生体も精通している君の知識なら、それを転化しての開発が出来る――だろうとね」
「・・・・・買いかぶり過ぎてねえ?」
 苦笑して謙遜をからかい混じりに返してくる彼に、ロイはきっぱりと首を横に振る。
「いいや、私もそう思う。君の能力は錬金術を失った位で落ちるような才能では無いとね。
 逆に失ったからこそ、次への段階を踏めるんじゃないかとも」
 ロイがそう話すと、エドワードは一瞬目を大きく開き、そっと視線を俯かせた。
 そうやって顔を俯かせると、大きな瞳が長い睫毛に隠されて儚げな印象を与えてくる。
 真剣な話をしている時に不謹慎だなと自身に呆れながらも、新しく目にしたエドワードの印象を不思議な気持ちで見つめ続ける。

 が次の瞬間には彼本来の勝気な瞳がロイを見返してくる。
 その瞳の輝きの強さに満足しながら、ロイは彼が話そうとしている事に耳を傾けた。
「た・・・、じゃねぇな、准将。俺ら兄弟にはやりたい事がある」
 それは旅に出る前に聞いた事だろう。ロイは言葉は発せずに頷く。
「俺もアルもその為に、広い知識を集めに出てる。アルには知識を具現する能力があるけど、俺にはその手はもう使えない。
 だから・・・――― 受けるよ、その話」
 きっぱりとそう言ったエドワードの表情は明るい笑顔だ。
「そうか・・・そうか受けてくれるか」
 ロイもほっとして笑みが浮かぶ。
「ああ。折角好きにして良いってんなら、こんなチャンスを棒に振るのはアホだろ?
 ――― 俺らのやりたい事には、悔しいけどまだまだ時間と知識。それと研究をする『場』が俺には必要だ。
 まぁ精々、金に替えれる開発とやらも頑張ってやるぜ」
 そんな彼らしい受け答えに、ロイの笑みは笑いに変わる。
「その心掛けは結構だが。壊す機材が多すぎて、逼迫させる確立の方が高いんじゃないのか?」
 そう茶化してやれば、食って返してくる。こんなやり取りも昔は良くやっていた。
 けど、昔と違うのはエドワードも楽しんでいると云うところだろうか。それだけ彼の内面も充実してきた証拠だ。

 一頻り言葉の応酬を楽しんだ後。
「――― では詳しい話はマルコー師に直接話してもらう事にして」
「ああ、明日にでも足を運んでみるよ」
「そうだな・・・。連絡先を教えておくから、訪問する前にはアポを取ってから行くように」
「OK」
 話は決まったとカップを片付け始めるエドワードに、ロイはふと浮かんだ思い付きを口にする。
「鋼の、明日は私も着いていこうか?」
 その何気ない気持ちで言った言葉に、エドワードは怪訝そうな表情を浮かべる。
「何? あんたも用事でも有るのか?」
「用事は・・・別に無いが・・・――」
 独りで行くのは心細いのではないかと思っただけの事だったのだが、エドワードは呆れた様な目を向けてくる。
「・・・別にいいって。―― あんた、俺を幾つだと思ってんだよ」
 気を害した風ではなかったが、過保護すぎるロイの発言に苦笑している。
「あ、いや・・・。―― そうだな、余計な気を回しすぎた、すまない」
 決まり悪さを誤魔化すように、不要な提案を流してしまう。

「いいけど・・・。まぁ、何かあったらまた言うし」
 肩を竦めてそう返すと、エドワードは片付けたカップを持ってリビングを出て行った。
 独り残されたロイは、不可思議な自分の思考と言動に思わず首を捻る。元より人に頼るのは最低限な彼だ。
 顔見知りに会いに行くのに、付き添いが要るわけが無い。
 
 ――― いつまで保護者気分でいるんだ・・・。
 自嘲気味に自分を哂って、ふいに浮かんだ一抹の寂しさを片付けた。







 :::::

「じゃあ、行ってくる。話が決まったら、帰りに寄らせてもらう」
「ああ、門衛に伝えておこう」
 ロイの送迎車に便乗してきたエドワードが、研究所の前で降りて歩き出していく。
 知らない場所に尋ねていくと云うのに、彼には気後れや躊躇いは無いようだ。
 颯爽と歩いて行く人目を惹く後姿を見送っていると、ハボックが遠慮がちに訊ねてくる。
「あのぉ・・・車出していいんですかね?」
「えっ・・・。―― ああ、勿論だ。いいぞ出して」
 ロイの言葉にアクセルを踏んで動き出しながら、ハボックがミラーを通して笑ながら話掛けてくる。
「何か、着いて行きたいって顔してますよ」
「―― 何を馬鹿な・・・、永の別れでもあるまいし。
 それに彼はもう二十歳も越えた青年だ。いつまでも保護者が要る歳じゃないんだぞ」
「ははは・・・、そりゃそうですよ。大将は昔っから、そんな玉でもないでしょうが。
 俺が言ってるのは、閣下の方が置いていかれた子供みたいな顔してるって事です」
 そう言ってからからと笑うハボックに、ロイはむっとした表情で右手を上げる。
「っ! す、すんませんっ! 車内では止めて下さいよっ!!」
 発火布を着けた右手を閃かされ、慌ててアクセルを強く踏むハボックの狼狽振りに少しだけ溜飲を下げ、
 加速の反動のまま背中をシートに凭せ掛ける。

 ――― 馬鹿な事だ。別にこれが最後の別れでもあるまいし・・・。
 隣に建つ敷地に居るのだ。会おうと思えばいつだって会える距離。
 それに1時間もすれば顔を見せに来ると言っている相手に、感傷など抱く必要がどこにあるのか・・・。
 些末な自分の心の動きを笑って、ロイは自分の気持ちを切り替える。



 エドワードがロイの処へやって来たのは、思ったより遅い午後だった。
 リザに出してもらったお茶を飲みながら、採用が決まった報告を話してくれる。
「契約書に目を通して、何点かは変更してもらった箇所もあったんだけど、特にそれ以上の問題も無いし条件も良かったぜ」
「それは何よりだ。マルコー師の事だから心配はしてなかったが、君が働きやすいに越した事は無い」
 機嫌良さそうに話すエドワードに釣られて、ロイも朝の不可解な心模様も忘れて笑顔で返す。
「あんたには色々と世話になりっ放しで悪かったな」
 殊勝なエドワードの言葉にも、珍しい事もあるものだとからかい混じりに受け返す。
 和やかな会話が一転したのは、その次のエドワードの発言からだ。
「で職員寮にもう入れるって云うから、案内して貰って見て来たんだ」
「職員寮・・・―――」
「そう、結構近くてさ。部屋数も有るから助かった。で、家具と設備も付いてるんで、そのまま直ぐに住める」
 エドワードが寮の話をし出すまで、ロイは自分が失念していた事柄を思いだす。
「寮に・・・入るのか?」
「ああ、独り暮らしより金も掛からないだろ?」
 住む所には特に拘りも無いしと笑顔で話のを、ロイは茫然となりながら聞いている。
 当たり前と云えば当たり前だ。
 エドワードが居候していたのは、次の予定が決まるまでの間だったから、予定が決まれば彼は自分の住むところへ移っていく。
 どうしてそんな当たり前の経緯に、これほどショックを自分は受けているのだろう。
 そんなロイの心中を察する事無く、エドワードは現実を突きつけてくる。
「実はもう部屋も決めてきてさ。荷物も移動したんで、今日から住む事にした」
「今日からっ・・・。――― そんなに急がなくとも・・・」
「ん? でもこれ以上厄介になってるのも悪いし・・・」
 そう言いながらごそごそとポケットを探り、探し当てた物をロイに差し出してくる。
「これ、サンキュウーな。あんたが置いてくれたから助かったよ」
 はいと差し出されたのは、ロイが預けた家の合鍵。
 それをじっと見つめたまま手を出してこないロイに、エドワードは怪訝そうに様子を窺って、テーブルの上に置いて返してくる。
「じゃ、あんたに改まって礼を言うのも、ちょっと何だけど・・・。
 ありがとうございました」
 そう言いながら、エドワードはペコリと頭を下げてくる。
「―――――― あ、いや・・・,対した事はしてないが・・・。
 頑張ってくれ給え」
 何とかそれだけ返し体裁を整える。
「おう、楽しみにしてろ。――― じゃ、あんまり時間を取るのも悪いから、俺もう行くな」
 そう言って腰を上げたエドワードに、ロイも慌てて立ち上がる。
「そんなに急がなくとも・・・」
 思わず引き止めるような言葉を口にしたロイに、エドワードが笑う。
「いや、ここでゆっくりしてる方がおかしいって」
 一介の市民が軍の閣下と呼ばれている男の執務室に、長く居る理由がない。
「そうか・・・―――。なら、今日の夕食はどうだ? 君の就職祝いに私が奢らせてもらおう」
 そう云う理由があれば、食事に誘ってもおかしくは無いはずだ。
 ロイは自分の思いつきに、現金にも気分が浮上してくるのを感じる。
「あっ―――と・・・。御免、俺他のメンバーより遅れてるだろ? で、今日その埋め合わせと、今後の打ち合わせをする段取りになっててさ。
 折角の気持ちだけど、悪い。また今度な」
 片方の掌を顔に翳して、済まなさそうに謝ってくるエドワードに、ロイは意気消沈しながら、「構わないさ。また都合が良い日を連絡してくれ」と、やや硬い笑みで返した。

 エドワードは他のメンバーとも挨拶を交し合って、司令部を出て行った。
 自分の部屋の扉からその光景を見送ったロイは、皆が仕事に戻り始めても暫くその姿勢でぼんやりと立ち尽くしていた。
「ナンパ失敗っすか」
 先ほどの扉を開けてのやりとりを耳にしていたハボックが、そう揶揄ってくるのに、
 ロイは不機嫌な表情で睨みつけて小さく指を擦る。
「うわっ~~~ちちちぃ!!!」
 銜えていたタバコの炎上で、ハボックが煩く騒ぎ立てる。
「閣下、室内での放火はお止めください」
 すぐさま入る叱責に、判っていると云うように肩を竦めて、火傷したぁ~と騒ぐハボックを無視し自室に戻って扉を閉める。
 デスクに戻る途中のテーブルには、先ほどエドワードが置いていったロイの家の鍵が、ポツンと所在無げに置かれている。
 ロイはそれに手を伸ばして持ち上げると。
「・・・・・持っててもらっても良かったんだがな」
 と今更ながら気づいたことを零した。
 別に彼なら、急に遊びに来たとしても嫌でもないのだ。なら渡しておけば良かったと、少しだけ後悔が過ぎる。
 がいつまでもそんな埒の無い事を考えて突っ立ていても仕方が無い。
 だいたい、隣の敷地に勤める相手なのだ。そんな風に固執して考えなくとも、顔を合わす機会はいつでもある。
 そう考えれば、多少気持ちも軽くなった。
 ロイはポケットに鍵を無造作に入れると、朝からやや遅れ気味になっていた書類の決済をする為にデスクへと戻ったのだった。



 1つの事に飲めり込むと、時どころか年月も忘れてしまうエドワードの性分を思い出させられるまで半年間。
 勤め始めたばかりのエドワードに気を使って、連絡を控えていたロイが、軍の依頼に託けて様子見がてらに電話をしてみれば。
 出てきたエドワードの言葉に、ロイが苛りとさせられたのは黙っておく。
『あれあんたか? 何か用?』 全く時間の流れを感じさせないエドワードの受け答えに、ロイは盛大な嘆息を吐きたくなった。
 そして同時に悟りもした。
 エドワードと付き合うには、マメさが必要だと。



 そんなロイの悟りが効を奏したのか、それ以降の二人の関係は良好だ。定期的に公私の依頼を頼むついでに顔を合わせる。
 エドワードから連絡があるのは稀だったが、ロイの誘いを断わることも無い。
 今では気の合う男友達として付き合っている。
 それはそれでなかなか楽しいものだ。
 
 歳の差を感じさせないエドワードとの会話は、軍の階級社会に所属しているロイには新鮮で、程よい癒しにもなる。
 彼とそんな付き合いが出来るようになるとは、昔の互いの立場からは考えられなかった。
 何より、ふらりとしか姿を見せなかった相手が、いつでも連絡が着く距離に居る不思議。

 ロイはそんな彼との付き合いを、結構面白いと感じている日々だった。
 
 


 +++ Overtime +++

「チーフ、外線です」
 その呼び掛けに、落としていた視線を上げて聞き返す。
「どこから~?」
 もう少しで終わるレポートを止めたくなくて、相手によって返事を考えようと思っての返事だ。
 そんなエドワードの心情を理解している同僚は、済まなさそうに肩を竦めて返してくる。
「マスタング閣下からですんで・・・」
 暗に断わるのはちょっと・・・な様子を見せてくる。
「ん―――、判った。回して」
 持っていたペンはそのままに、回された外線に出る。ロイからの電話は少なくない。
 最初の頃こそは、緊張していたメンバー達も今では通常の対応が当たり前になっている。
「はい、何だよ?」
 エドワードのそんないきなりの出だしも、あちらは気にする様子も見せない。
『やぁ、先日はありがとう。君のおかげで随分、上の方達も喜んで頂けてね。
 鉱山の採掘権利の契約書には、もう目を通してくれてるかい?』
「ああ、こっちこそサンキュー。おかげで生産ラインが確保できたって、こっち側でも喜んでるらしいぜ」
『それは何よりだ。で、今日電話したのは、以前君が話していた文献が届いたんで、その連絡をと思ってね』
 その言葉に持っていたペンを置いて、受話器をしっかりと持ち直す。
「マジ? で、どの文献が届いたんだよ」
 エドワードの嬉々とした様子が向こうにも伝わってるのだろう。受話器越しに苦笑している気配が伝わってくる。
「・・・んだよ、いいだろ喜んでても」
 笑われたことに不服そうに返せば、ロイも「勿論、構わないが」と今度は声を抑えずに笑い声を聞かせてくる。
『いや――― 相変わらず、君は判りやすい・・・とね』
「ふん。――― で、何が入ったんだ?」
 辛抱が足らないエドワードのせっつくような言葉に、ロイも焦らす事無く手に入れた数点の本のタイトルを伝えてくる。
 それらは禁書では無いものの、稀少本なのは間違いない。
 研究所に所属しているエドワードにも、色々と揃えることは出来易い立場ではあるが、
 ロイが用意してくれる物はそれ以上の価値が有るものばかりだ。
「――― 凄いな」
 素直に感嘆の言葉を零せば、「人徳でね」と澄ました答が返ってくるが、それだけでは無いこともちゃんと判っている。
 軍属の時にも色々と便宜を図ってくれていたロイは、今もこうして自分に気を使ってくれる。素直に礼が言えないのは昔からだが、少しだけ大人になった自分は、
 ちゃんと相手の好意に感謝する事は出来るようにもなった。
「・・・・・悪いな、無理掛けて」
『然したる手間じゃないさ。手配するのは私じゃないから、気にする事はない』
「いや・・・。サンキュー」
『どう致しまして。――― で、良ければ今日にでも渡せるが?』
 聞かれたことに即答しそうになって、はたと今日の予定を考える。
「ん・・・――。直ぐに読みたいけど、今日はハンセン教授と約束入れてあるから、また近い内にでも」
『・・・そうか。じゃあ、都合が良い日をまた連絡をくれればいい』
 ロイのその言葉に、近い内に連絡すると返して会話を終えた。

「あ~~~、ちょっと残念・・・」
 電話を切った後にそうぼやきながら、後ろでで組んだ掌に頭を添えて背筋を伸ばす。
「何が残念なの?」
 横の席から同僚のリズが、エドワードのぼやきを聞きつけて窺ってくる。
「いや、稀少本が手に入ったらしんだけど・・・。今日はハンセン教授のお供する予定が入ってだろ」
「ああ確か、こちらに来られてたのよね」
 東部の有名な大学から学会の関係でやって来ている彼とは、以前顔を合わせてからの付き合いだ。
 研究者にしては珍しく気さくな教授は、そろそろ老齢に差し掛かっているとは思えない元気者だ。
「ん。家族も一緒に出てきてるそうなんだけど、明日帰るって云うんで1度くらい食事に付き合えって誘われてるから」
 だから文献が読めないと話すエドワードに、リズは神妙な表情を返してくる。
「リズ・・・?」
 そんな彼女の反応を不思議に思って呼びかけてみれば、はっとした表情を見せ、その後苦笑を浮かべながら軽く首を横に振る。
「いいえ・・・ごめんなさい、ちょっと違うことを考えてて・・・――。
 で、今日はハンセン教授のお供をするのね」
「あ、ああ・・・」
「教授と二人で? それともご家族もなのかしら?」
 そんな風に尋ねられて、考えてもなかったのに気づかされた。
「聞いてなかったけど・・・教授一人だろ? 俺、教授の家族とは面識が無いしさ」
 特に関心もなかった事柄だったんで、そう答えるとエドワードは手元のレポートに意識を戻す。
 今日は残って仕上げる事が出来ないのだ。さっさと澄ませてしまうに限る。

 手元に集中始めたエドワードには、暫くその様子をじっと見つめていたリズの視線には、まるっきり気づかないでいた。








 :::::

 受話器を置くと、無意識に溜息が零れていた。

「―― 何かございましたか?」
 気配に敏感な副官が、速攻そう窺ってくるが何も無いとだけ答えて返す。

 ――― 最初に伝えたかったんだが・・・。
 
 文献の事は本当だ。勿論、それを伝えるのが第一の目的だったのだが。
 肘を付いた片手の甲に顎を乗せながら、ぼんやりと思考する。
 副官のリザは電話の応対をしているのに忙しいようで、そんなロイを見咎めて叱ってくる様子も無いから、暫くこのままでいようと決める。

 ――― 別に急いで伝える程のことでもないんだが・・・。
 そう考えた矢先に、やや気落ちしている心情を吐露するように溜息がまた1つ。
 ロイは本日の内示で、昇進が決まったのだ。
 先日のエドワードとの交渉で、軍の要望通りになった褒賞も兼ねてなのだろう。勿論、それだけでもない。
 准将に上がってから暫く経っているから、そろそろだろうと囁かれてはいたことだったのだ。
 それでも少しでもそれが早くなった後押しは、先日のエドワードとの交渉の成功があったのは間違いない。
 別に公表されればエドワードの耳にだって入るのだから、急いでロイが伝える程のことではないだろうが・・・。
 どうしてか、1番始めに知らせるのは自分の口から伝えたいと思ってしまった。
 空いた予定を埋めるのに、久しぶりに親しくしている女性の誰かを誘おうかと思案がそこまで行き着いた時に。

「閣下」
 やや硬い声で呼ばれた。
「・・・どうした?」
 先ほどまで電話で対応していた副官が、傍近くまで来ている。
 その表情から余り喜ばしいことでは無いのだろうと察して、聞いてみれば。
「只今、ホーキン中将の秘書から電話が有りまして・・・」
「中将の?」
 特に親しくしているわけでもない相手からの、しかも秘書からとは。
怪訝な気配が伝わったのか、リザが苦笑しながら説明を始める。
「今回の昇格の内祝いを開いて下さるようです」
 また余計な気遣いを、と別の意味で嘆息が落ちる。
「ありがたいが、お気持ちだけでと返しておいてくれ」
 内祝いに託けた嫌味嫉み会になるのは判りきっているのだ。そんなものを開いて貰いたいと思うわけが無い。
「そう――お伝えしたんですが・・・」
 申し訳無さそうな表情に、ロイの眉が下がる。
「ホーキン中将だけでなく、他の・・・将軍閣下の皆様も参加が決定している――との事で」
 これは仕方が無いのだろうと肩を下げながら、日を聞いてみる。
 そして、その答えに更に表情が曇る。

「今日・・・に、いきなりか」
「はい。―― 丁度、今日、明日は軍議も有りませんし・・・」
 それを理由に断わる事も出来ない。ロイだってその予定だったから、エドワードを誘って文献を渡そうと思いついたのだ。
「――― 仕方が無い。有り難くお受けさせて頂こう」
 思いっきり表情を顰めてそう返すと、副官は同情の目で見て頷いて返してくる。
「御武運を」
 苦笑と共に掛けられた励ましの言葉に、本当だと肩を竦めながら返すのだった。













 :::::

「少し失礼致しまして」
 控えめに声を掛け、ロイは椅子を引いて立ち上がると、所用に託けて部屋を出る。
 予想通りの話の展開に、厭きれを通り越して達観の域になる。
 ここは我慢大会の場だと自分を慰め耐えるが、コースの半場でひと時の息継ぎを得ようと思ったのは仕方が無いだろう。
 個室を占領しているのは当然だ。
 格式の高いこのレストランに軍服で来る無粋など、ロイには考えられないが、上が着替えないのに下の自分が着替えるわけにもいかず、
 諦めきってそのまま来たのだ。部屋が個室でどれだけ安堵したか。
 今日言って今日に席が取れる店ではないから、店側も嫌がって個室に押し込んだと云うところだろう。

 なるべく一般の人々の目には入らないようにと、そっとレストルームに歩いて行く。
「あれは・・・・・」
 ふと目に入った店内の一角に、見知りの人影を見つけて思わず足が止まる。
 ロイの視線の先には、話に花が咲いているのが遠目でも判る楽しそうな家族連れが映っている。
 始終笑顔で話している老人の様子では、余程機嫌が良いのだろう。
 その横は多分、彼の夫人なのだろう上品な初老の女性が微笑んでいる。
 特に目を惹いたのは、夫人の横に座っている女性で、はにかみながら隣の青年を窺っているのが、初々しい恋心を物語っている。

 が、ロイの目を最初に惹いたのは、老夫婦でもその孫娘だろう女性でもない。
 ――― 鋼の・・・。
 後姿からでも判る相手は、エドワードだ。暫しその光景を見つめていて、昼に会話した中で教授のお供をすると話していたのを思い出す。

 ――― しかし、あの様子はお供などではなくて・・・。
 自分だって何度か経験させられたから、その場の意味は判る。
 その食事会を指す単語を思い浮かべて、ロイは不機嫌そうな表情を浮かべて足を動かし始める。
 ――― それならそうと言ってくれれば良いのに。
 別にそれを茶化すようなことをする気も無い。自分だって何度も断わり切れなくて、その場に出向いた事もあるのだ。
 エドワードの年齢なら有っても当然だろうし、これからは更に多く誘いを掛けられるはずだ。
 あの通り容姿も良く、地位も有る。そして彼さえ少し欲を持てば、財産も幾らでも稼げる人間だ。
 彼と縁戚になりたいと願う者も多いだろうし、恋する女性達も後を絶たないはずだ。
 言ってくれてれば、断わる方法だって教えれるのに・・・。

 そこまで考え付いて、ギクリと頬が強張る。
 ――― 断わる気が無い場合は・・・。

 いつの間にか着いていたレストルームの洗面台で、ジャージャーと水を流しっぱなしにして手を浸したまま、
 ロイはじっと姿勢を動かせずに視線を手元に落とし続ける。
 何故だか、今は鏡の中の自分の表情を目にしたくは無い。

 カチャリと鳴った扉の音に、はっとなって蛇口を閉めると入ってきた相手に視線を流す。
「・・・・・鋼の」
「あれ? どうしたんだよ、こんなとこで」
 驚いたように笑掛けてくるエドワードに、ロイはやや強張る頬を強制的に上げる。
「将軍の方々が激励会を開いて下さっててね」
 声のトーンが自分で思ってたより低くなっているのを、煩わしい付き合いに辟易しているからだろうと思ってくれているのか、
 同情が滲む声音で成る程と返事が返ってくる。

「――― 君こそ、こんな場所でとは・・・珍しくないか?」
 エドワードが肩の張るレストランを嫌がるのは判っている。さり気なく問い掛けた声は、内心の不機嫌を滲ませてはいないだろうか・・・?
「ん~。俺もこう云う店は好きじゃないんだけどさ。・・・何か教授が予約してくれてて。
 断わるのも悪いし」
 衝立の向こうから出てくるエドワードには、何の気負いも見えない。
(―――?)
 そのエドワードの様子が腑に落ちなくて、ロイは手を洗っているエドワードに続けて話しかける。
「しかし・・・君も隅に置けないな。素敵な女性と話が弾んでいたようだが?」
「あれ?一緒に居る人たち見たんだ。
 そうなんだよ、教授一人かと思ってたら、家族も一緒だったんだ、驚いた」
 手を拭きながら困ったように笑うエドワードに、ロイは気づいた事実がある。
「鋼の、それは・・・――」
 示唆するべきかどうかの一瞬の迷いが、伝えるべき言葉の時を失う。
 扉を開けながらエドワードの言葉に遮られるように、ロイは押し黙ったまま後を着いてその場を離れる。
「普段はこっちに居ない人たちだからさ。
 来た時には案内をしてやって欲しいって頼まれたんだけど、俺も先の予定が立たない方だろ?
 あんまり役には立たないって断わってるとこだ」
 じゃあ、あんたも頑張れよと去っていく後姿を見送りながら、ロイは思わず苦笑が浮かぶ。
 ――― あれでは当分は無駄になるな・・・。
 少しは察しても良さそうなものなのに、エドワードはまるっきり唯の食事会だと思っているようだ。
 がそれも仕方が無いのだろう。 
 少年期は旅続き。折角自由になった後にも、また更なる旅続き。
 想いが育つほど、一つの場所に居たことが無いのだから・・・。
 
 億劫な部屋に帰る道すがらそんなことを考える。
 そして不思議な事に、来た時より格段と歩みが軽くなっていたのには、ロイ自身全く気づいてもいなかった。





 そして翌日早速、珍しくも電話してきたエドワードが、ロイの都合の良い日を聞いてきてくれた事で、
 昨夜までの不機嫌は一掃された。

 エドワードの行動で一喜一憂していることは、本人のくせにロイが1番判っていない事実だった。


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